昭和52年4月19日朝の御理解                明渡 孝


御理解第28節「病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするに、八、九分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておるようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよ。」


 信心は、三代も四代も続いて信心をしておるけれども、思ってみりゃめぐりが深い。次々と難儀な事が多い。そういう人はたくさんありますです。金光様のご信心を頂いておりましても、途中で止めればなおさらのこと。だけれども、なら信心を何十年を続けておられても、まだまだめぐりのせいと言わなければおれないような難儀がくる。
 ここにいろんな人間の正常とでも申しましょうか。(?)めぐりだなと。例えば、たいへん女癖の悪いめぐりがあるとすると、もう不思議にお父さんから子供に至るまで、もうほんとに、私の知った人にもうたいへん嘘の名人がおられました。もうそりゃほんとに名人でした。もう(    ?    )
 ところがいつも(こさしをたくさんもまれたから?)お金が無い。足りない。ところが、その難儀な状態を子供が見ておりますから、子供は非常に熱心で、なかなかよく働いてまいりまして、村内でも評判の親孝行息子でした。
 それから私は、(?)さして頂いて十年して帰ってまいりました時に、ちょうどその村から当時(?)のとこ行っとりました人がたまたま尋ねて来た時に、あんたんとこの何々さんという人は、親父さんは、それこそ、それすら毎日というくらいにその名人であったが、息子がなかなか熱心な息子で、真面目な息子じゃったがあそこはどげんなっとるじゃろうかちゅうて聞きました。
 さあ、あれはどう見ても親以上になっておる。もうほんとにぞっとしますね。なかなか信心しよってもめぐりのお取り払い、あれだけ熱心に信心するけん、もうあのめぐりだけはひとつ消えなければ、もうほんとにみんなが迷惑する。ね。迷惑させんばってん、自分がそれではいつまで経ってもおかげは受けられません。
 だから、長年に信心をしとる。信心を止めずにずっと何十年、二代も三代も四代にも信心をしておってもね、めぐりのお取り払いを頂いていない、いわば「井戸は清水になるまで」と言われる、「清水になるまで」というほどしのおかげを頂くということは、ね、ただの信心ではいけんですね。ただ信心しとります、長う続いとりますだけではいけないということが言えますね。
 そこでです、どういう信心をさせて頂いたら、ほんとにめぐりのお取り払いを、第一金光様のご信心は、ご縁を頂いたということはね、めぐりが深いとですよ。ましてお道の教師にでも取り立てて頂くという人は、もういよいよもってめぐりの深い人です。
 信心ができるけん教師になったんじゃない。ただ信心が好きで金光様の信心しよるとじゃない。やっぱり縁が深い。いうなら難儀な氏子。その難儀な氏子の自覚をお互いが持たせて頂いて、ね、ありがたいことには、めぐりが深ければ深いほど、大きければ大きいほど大きなおかげが受けられる。信心もいよいよ深い信心が頂けるというのですから、めぐりの深いということは、実は、ほんとのおかげの頂けれる一番手前にある人です。ね。
 信心はせんでも結構家庭も円満、健康でもある。お金もたくさんあるという家はたくさんありますよ。やっぱめぐりが少ないから。そして今、(?)めぐりをつくっていく。ね。
 私の方は誰でもそうです。大坪家というのはたいへんめぐりが深い。私の婆の親達までですから、(  ?  )ということになりましょうかね。もうそれこそ、まあ( ? )で通っておる。夕食に三味線が入らんことないというぐらいであった。
 それはもう、贅沢なことを私が修行中に、もうたいへん難儀な、もうどうにもできないほどしの難儀を、な事でしたから、ちょうど福岡に後藤先生という先生がおられましたがね。私の方の表の所に住んでおった。あちらは立派な病院ですけれども、私の方は掘っ立て小屋のような、もう掘っ立て小屋、ほんとの掘っ立て小屋でした。
 やっぱり、あなたの教会にお参りをされて帰りに、私の方に寄って、そして、御理解を頂いて帰っておられました。そんなわけで、近々(?)しとりますから、もういよいよもう、背に腹は変えられんというものがあるなというでしょう。
 弟が形見に残しとりました、その一張羅のまだ新しかったその洋服を一着持って、後藤先生の所にお金の相談に行きました。もう二言言わずに、まあ当時のお金で一万円でしたが、もうその時分の一万円というたら、三十年前の話ですからね、大金でした。
 もうほんとにあちらの奥様もたいへん親切な人ですが、二人とも(?)です。「大坪さん、そんなもん持ってお出でられんでいいですよ」と。とうとう洋服は持って、受け取られませんでした。そして、それから(証文ひとつとる?)わけでもなしに一万円の金を貸して頂いたことがあった。その時分の人。
 もうどうにもこうにもできない、(?)できないために難儀をしております時に、神様にお願いをさせて頂いておりましたら、御心眼に、私がもうはげ山にね、ちょうど鎌を持ってちょうど焚物採りに行っとるような格好のとこを頂いたんです。ね。
 はげ山に焚物を採りに行ったって採れませんよね。木一本ないのですから。そして、御理解にです、ね、ついお前の前の代前の代、先々代までぐらいは、この山にそれこそうっそうとして生えておった木をね、みんな伐採してしまって、ね、さあ、家を建てたり飲み食いに使うて、贅沢に使うて、使うことは良いけれども、その後に植えるということをしていなかった。
 私どもが、善導寺、婆とお寺さんにお参りをする。教会にお参りをする、その時にいつも善導寺の町を通ると、ちょうど原さん所のまん前になります。私どもが子供の時には
、ここに歩きに来よった。「ほら、見てみよもん、瓦に一枚一枚家の紋と同じ紋が付いておろうが」ここはどこどこまであるから、他所の地所は踏まんでよかっちゅうぐらいに繁盛した家じゃった。ところがです、そういう例えばなら、贅沢のできるおかげを頂いておりながらです、なら紋と私の方ももとは(善導寺?)さんですけれども、(善導寺?)さんに寄付札がたくさん出ておりますよね。あの時分で百円とか千円とかというような、やっぱ大金の献納をしておられる方がありますけれども。
 善導寺の桝屋、桝屋と言いましたかね、大坪というのは、それこそいっちょん寄付はしとらんです。ね。それこそ、うっそうとした生えておったその山の木をただ伐採するだけ、切るだけ。ほんとか嘘か知らんけれどもです、ね、まあ一円札かなんかで、尻拭いてから女中やらに「拾えや、お前にやるから拾うとけ」と。そげながおったそうです。
 私は、父からその話を聞いて、ほんとか嘘か知らんけれども、そういう、いうならばめぐりを積んでおるのですから、その孫のひ孫が、私が難儀せんならんはず。ね。
 けれども、そういうめぐりがあったおかげで私が人の真似のできないような苦労をしたわけ。それを私は、苦労とせずに修行として受けたところに今日の合楽があるんです。してみると、めぐりの深いことはおかげということが分かるでしょう。ね。
 ただ何十年信心が続いとりますというだけじゃいかんです。ならどういうことかというとです、なら私がどういう信心修行をさして頂いたかというとです、そりゃ、(?)修行もさせて頂いた。断食もした。もう一生風呂なんかも入ろうとも思わなかった。朝晩水行するから。ね。夏も冬もなしに、夏服一着で過ごした。親やら子供達にすら満足に腹いっぱい食べさせられないくらいだから、とても自分が腹いっぱいどん食べよったっちゃとても難しかと思うて、一椀のお粥一食で三年間過ごしました。その間には断食がありました。
 もうほんとにあの、夏の日なんかに福岡の町を歩いて行って、ちょっとかがむと目が眩んでくらくらっと眩んで倒れよりました。そういう時でもです、ほんとに私の耳元でカラカラと笑う声が聞こえたりしました。ね。
 私がいうならば、もうそれこそ貧困ごと痩せ、痩せきれて、そして、なら目眩をしてそこに倒れておる。もう意識がもうろうとしておる時に誰かが笑う。その笑うが、もう如何にも軽蔑したような笑い方です。
 だから、「ナニクソ」という元気を出して、またそれから起き上がるといったようなことも一度二度じゃありませんでした。ね。けれどもね、そういう修行をさせて頂いたから、今日合楽がおかげを頂いたとは思われません。いや、むしろそういう修行は金光教の信心ではないということが分かったです。ね。
 「表行よりは心行をせよ」とおっしゃる。ね。表行もして良い、心行もして良いというふうに軽く頂いておったけれどもそうじゃない。表行よりということは、ね、表行を止めて心行一本にせよということなんです。そうでしょう。
 「仏教より金光教が良い」というと仏教を止めなければできんでしょうもん。ね。仏教もしよる、金光教もしよる。仏様も拝みゃ、金光様も拝む。仏教より金光教と言われておられる。「表行より心行をせよ」と言われたら、表行をもう、それこそせんとね、金光教の信心の真髄に触れられないです。ね。
 何々教だって何々宗だって表行やらしよる。金光教もやっぱ表行をするといったようなことでは同じことになるです。金光教には絶対表行はない。もちろん四神様のお言葉の中に「表行ができん者に心行ができるか」とおっしゃったということは、確かに表行ぐらいのことじゃないです、心行というのは。絶えず自分の心の中に掛け続けさせて頂く行なのですから。ね。
 だから、表行なんかは本気になったら見易い行です。というほどしに心行は難しいのです。ね。その難しい心行を見易いところから入っていこうというのが、いうならば合楽理念の中にあります。為そうと思えば子供でも為せるようなおろそかなことをしておる、そこを大事にしていくという心行である。そこからだんだん、どんな難しい心行でもできるのです。
 どんなに行ができておる、心行ができておるというてもです、いわゆる実意丁寧を欠いたらおしまいです。ね。心行というのは、まず為そうと思えば子供でも為せるような見易いことから「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは己が為さぬなりけり」これはたいへん難しいことのように思うておりましたけれども、「為せば成る」ということは、為そうと思や子供でも為せれることをおろそかにするな、というふうに私は頂いております。
 たとえて言うなら、本気でおかげを頂きたい。ほんとにめぐりのお取り払いを頂いて、確たるごひれいを受けたいと、例えば徳のお道の教師でも志すと(?)。
 私、夕べちょうど十二時にここに出てまいりましたら、修行生の方達が一生懸命大祓信行をしておりました。それから、もう寝ておる人達もありました。もうほんとにここで修行をしておる人達なんかは、もう信心に専念しておるんですからね。ここで言われる五つの願いの徹底。大祓信行の徹底。それに掛かってるんですから。それを怠るということはブラブラ修行ですから、いつまで経ってもブラブラです。徹し抜かにゃいけません。信心とは徹することだとさえ私は思います。ね。
 そこでです、めぐりの自覚ができる、本気でめぐりの「はあ、ほんとに自分の家はめぐりが深い」と感じたら、自然との対決です。自然に起きてくる様々な問題。その問題と対決して、その対決に、いわばいつもそれに打ち勝っていくということ。
 難儀というのは、ただ難儀じゃないです。あれはめぐりの正体なんです。困ったこととか難儀なこととかね。それがその世の中にも様々な人があります。ね。酒で命を落とす人、女子で命を落とす人。
 ですから、そういう例えば、「ほんとに家は酒で命を落としよる」「確かに家は女子でいつも失敗しよる」だから、そういうひとつの難儀というものをです、ほんとに根が切れるまで、井戸は清水になるまでのおかげを頂きたいと思うなら、それを子にも孫にも伝えたくないと思うなら、その事と対決して、それに打ち勝っていくという修行が為されなければ、いつまで何十年信心しておっても、やっぱり濁っておるんです、水が。ね。
 井戸ざらいをするのに、何が何がじゃいけません。やっぱり「やあ」と、ね、七分八分で止めるといったようなことじゃなくて、もう深から清水が湧いて来るまでやらなければいけないように。ね。そのめぐりが、いうなら難儀の正体ですからね。難儀はめぐりの正体ですから、そのめぐりが現れたのですから、そのめぐりと、いうなら力比べをするくらいな気持ちがあって対決する。
 めぐりが百の力をもってするなら、こちらも百の力をもってしなければならない。これは天地自然の法則です。もう正と邪というものは、同じ力であるならばです、必ず正が勝たなければならんことになってるんです。正しいということと邪なことと。めぐりの力の五十、おかげを下さろうという力も五十。
 だから、そのかけ、めぐりが五十ならこっちが六十ならもう問題ないです。そらもう絶対勝つこと分かっとるけれども。これはやっぱり、めぐりの方も負けまいと一生懸命ですからね、ここは五十と五十の力ですから、もうそれこそ悲壮なまでの葛藤がね、そこに繰り広げられる。それが難儀の様相なんです。
 信心さして頂いて、私どもが心からありがたいなと思う心でその問題に対決するとです、あっちも五十こっちも五十なら、絶対、正、正しい方が勝たねばならないようになっておる。如何に正しい正しいと言うてもです、ならめぐりが五十、こちらが四十だったら、いくら正しいことだって負けるです。ね。
 例えば、(     ?     )を見れば分かる。まあそれはどうか分からんけれども、いわば正義の刃というか、聖戦とまで行ったのです。日本の例えばその、聖戦であってもです、向こうの方も五十の力、聖戦に( ? )されとるのものも五十の力ならばです、もう絶対聖戦の方が勝たなきゃならんごとなっとるです。だいたい。ね。
 けれども、きついことは、多勢に無勢でしたでしょう。だから、どんなにそれが聖戦でありましても、やはり負けるんだということ。神様はね、いつも私どもの心の中に、めぐりが深ければ深いほど、信心も深く求め給う。簡単なことでおかげを頂く人もある。けれども、いくら信心しても信心してもおかげにならん人があるでしょうが。めぐりの差です。
 夕べ私、ちょうど十二時にここへ出て来ました。そこんところまで来たら電話がかかってきて、誰からかと思ったら、豊美からでした。ご大祭でこちらへ夫婦でおかげを頂いとりましたから、ちょうど、そしたら昨日、一昨日ですかね、一昨日、金光にタニマという喫茶店をしよりなさる所がある。私は行ったことがないので知らんですけれども。
 あれは豊美ところの威智雄さんどんが、(従兄弟はん?)ぐらいになる。御本部であの、古川いくお先生という、その人の息子さんです。夫婦がやって来た。
 ほんと驚きました。そして、友達が来とりましたもんですから、大祭ということなんかはもう全然知らんでみえとりましたから。まあたいへん喜んで(?)でもあげたんですけれども。
 もうほんとに話を聞けば聞くほどにです、ほんとにどっか助かるとこが分からんと。御本部の金光様の膝元におって。ところがもう、金光様からこの頃えらい怒られたげな。参って。それでもう(じゅうっと?)してしもてから参るごとできんなった。とてもこれじゃ御本部じゃ助からんち思ってから、どっかと言いよったところが太郎先生があちらにお茶を飲みに行ってから、合楽の話をした。
 そらいっぺん、どうでんこうでんお参りをしよう、ちいうてから、昨日、一昨日参って来たんです。
 もう話を聞けばほんとに、いろんな問題、特に兄弟のもう、(?)何とかと言ってました。もう医者は助からんと。最後の手術をせんならんという人のお届けがあっとりました。それでね、「私は、この御神米を頂かしなさい、この御神米が通ったらおかげ頂きますよ」と言うておったけれども、ちょうど帰りが一緒になって、汽車の中で豊美達が会うたあちらの夫婦と一緒に帰った。
 そして、汽車の中で、もうこの信心は、それこそ生まれながらに信心はしよるけれども。ね。古川八百蔵さんところの出ですからね。それこそもう百年も続いてる信心です。それでもめぐりがまだ残っとるわけです。しかもどうにもできないめぐりが、だと思わずにおれないような難儀がそこにあるわけです。
 「私ども長年信心しよるばってん、その奇跡的なおかげを頂いたことがないから、私は金光教では奇跡は信じん」とこう言われた。あちらで「そげなこと言わんで、合楽の御神米ば頂かせてから、必ずおかげを頂くから、とにかく御神米でこういうおかげが受けられるという奇跡を、まあいうなら体験しなさい」といったような話をして帰ったんです。
 そしたら夕べ、十二時という頃に電話がかかってきたんだそうです。「(?)さん奇跡が起こった」と言うて、もう感激いっぱいで電話がかかってきたそうなんです。それが、その病人がですね、ほんとに嘘のようなおかげを頂いておるわけです。御神米を通ったんです。ね。途端にもう長い長い間お便所が出らなかったのが、それこそたくさん出たんだそうです。御神米を頂いたら。
 そして、(   ?   )「もうとにかくあんたが汽車の中で言いよった奇跡が起こっよ」と言うて電話があった。だから、豊美ももう十二時になるけれども、「あんまり自分も、とにかく、電話で誰か起きてるならば、早うお電話申し上げよう」というので電話がかかって来たのでした。
 夕べの月次祭にお礼に出て来ておりました。今度の大祭に、参拝教師で手を引かれてから、腰が二折になったおばあさんが玉串あげられましたでしょう。あれは山口県の何とかという教会で、もう五十年間教職を頂いてなりますと言うておられました。耳は近いけど、目が見えなさらんとです。ね。
 その甥子さんになるとが、ここへずっと参って来ますから、ここの話をしたら、「そげなとこなら、いっぺんどうでん連れて参ってくれ」と言うので、わざわざ山口まで迎えに行って、そしてその、ご参拝をして、参拝教師でああして玉串あげられたわけです。
 帰りがけもずっと、自動車の中にテープを入れてあるから、もう帰るまで聞かれてから、もうありがとうしてありがとうして神様にお礼を申し上げて、すぐされとるならね、お広前いっぱい目が見えるようになったそうです。お広前が隅から隅まで見られるようになった。
 もうたいへんな感動で、とにかく早うお礼に出てくれと言うので、昨日、甥子さんがお礼に出て来ました。月次祭に参って来ておった。
 今度の大祭は、そんな人がいくらもありました。ね。ほんとにお話頂き頂きおかげを頂いていかれる。いうならば、そういうふうに長年の簡単な、いうなら、でおかげを頂く人もあるけれども、参っても拝んでも百年経ってもおかげが頂けておらんというのはです、結局、井戸は清水になっていくような信心ができていないから。
 ただ信心しとれば百年も経ちゃめぐりのお取り払いが頂けるということでは決してない。めぐりのお取り払いというのは、そのめぐりが出て来た時、その難儀の様相それがそのままめぐりだから、そのめぐりを、これがめぐりの正体と思うて、これに、日頃信心の稽古をさして頂いておる「ありがたい、もったいない」というその心で、これと対決することなんです。ね。
 神様は、もう天地の親神様ということはです、めぐりも作りなさるわけですよ。だから、お前のところのめぐりが百ならばです、百の、いうならばありがたい信心ができた時に、恵みが出て来る。だから、その対決で、本気で対決したらです、絶対勝つことになってるのだけれどもです。ね。その対決に負けてばかりおったんでは、いつまで経ってもめぐりのお取り払いができんということが分かるでしょう。
 私の辺りでも、もう七十年からはいうなら信心である。ね。婆達から両親から、そして私と三代に続いて信心をさして頂きよるけれども、なら私の時代には、それこそ住むに家なし、食べるに食なしというような難儀に遭ったけれども、いよいよ、なら信心がありがとうなってきておる。そのありがたい道で対決をする度にそれに打ち勝って行った。その打ち勝って行く喜びがまた素晴らしいんです。ね。
 そして、それをならどういう修行でいったかというと、私は、「成り行きを大事にする」ということだった。あらゆる表行もしたけれども、その表行ではいけないことが分かって、いうなら心行一つ。そして、私求め給うところの修行。ね。私の家にあるところのめぐりとの対決。ね。
 そこに難儀な問題が起きてくる。苦しいことが起こってくる。それと対決、それを私はそういうこととは知らずにです、とにかく私の上に起きてくる様々な難儀な問題、どういう問題があっても、それを合掌して受けることをこれからの修行といたしますという修行をさせて頂いて四年半。もうあと半年すりゃ五年祭というちょうど半年前にです、ね、神様がめぐりの取り払いを頂いたことをお知らせ頂いて、これからは、そういうような四年半に受けてきたような、もうめぐりは出てこんぞという意味のお知らせを頂いた。おかげでもうほんとに、それからというもののもう嘘のように、いわば楽になったわけです。
 母が頂いた、まあ昔の当時のお広前に格子戸がありましたですよね。だから、格子戸を二枚を取ってちょうど一間真四角になるわけです。そこを小倉の桂先生が、もうそれこそ象のように大きな牛をです、それが上に、天井につかえて出らんとを、もう無理にこう引っ張って出して下さるお知らせを頂いた、というのもちょうどその頃でした。
 牛と言えば、家のめぐりとおっしゃるが、桂先生がその綱をね、引っ張ってから、そしてもう象のように(   ?   )母が申しておりました。ね。
 そのあと、またいろいろめぐりはやっぱ作ります。けれども、まあ「はあ、またこれはめぐりが出よるな、めぐりを作りよるな」と思うたら、またそれをカツガツ、いうならば取り払いを頂いたり、お詫びをさして頂いたりして、おかげを頂いていっておるわけです。
 そこからです、いうならば合楽理念は生まれたんです。ね。ですから、合楽理念の私は精進というか、マスターというか、ね。そしてそこに精進させて頂く。ならただ私が言っておるだけでいいのです。他のことはいらん。
 例えば家の修行生の方達がです、それに専念しておるのですから、朝の御祈念ぐらい、大祓信行ぐらい、それこそ「五つの願いというものは、御神前に拍手したが最後、この五つの願いだけはしなければいけないよ」とそれだけのこと。ね。
 それを、五つの願いもしたりせじゃったり、大祓信行もしたりせじゃったり。ね。ちょっとどうかある内はもう、それを辛抱しきらない。ほんと言うたらそれに専念して、まあこれは家の修行生だけのことじゃありません。朝参りどもなさる方達の、まあ打ち込んだ信心ならばです、もう今夜どん大祓信行はご無礼しようってなんてっちゃことがあってよかろうはずがないですよ。
 しかもね、そういう信心によってめぐりのお取り払いを頂いたら、めぐりは天地に対する借金と言われるから、ね。その借金払いしただけじゃない、これからは貯めていかにゃならん。その貯まって行くのがお徳です。だから、そのお徳があの世までも持って行きゃ、この世にも残しておけるというほどしのものですから、そういう素晴らしいことを頂こうとするのですから、精進がなくしてどうしておかげが頂けましょう。
 めぐりのお取り払いはです、そんなに十年も二十年もかかるもんじゃないです。その気になったら、私の場合は、いうならば、ね、人が助かるようになって四年半。そうすると、(?)から引き揚げて帰ってまいりましてから、もう何もかにも入れて。ね。
 五・六年の間、一生懸命めぐりのお取り払いとは気付かんなりに一生懸命の信心をさして頂いた。中には表行もあった。表行じゃいかんことが分かったから、心行一つに切り替えた。そして、ただ神様が私に求め給う修行をしようと決心した。それが起きてくる難儀な、どういう問題であっても合掌して受けようという気にならせて頂いた。
 今から考えると、それが「井戸は清水になるまで」という業(わざ)であったというふうに思うのです。ね。ですから、「やあ」っという心、いわば、ね、最後にあります「元気な心で」とおっしゃるような。ね。元気な心でそれに取り組んで、めぐりのお取り払いを頂いて、ありがたいもったいないの生活に入らせて頂かなければならんのです。
 そのめぐりのお取り払いとは、何十年信心を続けとりますということでは、百年経ってもお取り払いは頂けないということ。
 古川の場合なんかはそうでしょう。金光教始まって、ね、もういうなら教祖様と共に信心が始まってるんですから。それでも、古川の家にはどうにもできないめぐりがあるということです。もう実にもうほんとに、もうどうにもしょうがないめぐりがあるということをおっしゃる。今度聞かせてもろうてね、残念至極です。
 だから、そのお取り払いを頂くことのためにはです、どういうことかというと、めぐりが出て来た時に、そのめぐりに勝って行くという修行をしなきゃならないということ。いきなり出るとじゃない、それはもう自分の前に、ちゃんとめぐりが出る前にはね、前知らせがあるです。
 お天気が悪うなる、雨が降るという時には曇ってくる。生温かくなる。大風が吹く時には、いわゆる風の前に、いわば静かになるでしょう。というようにです、何か難儀とか災難の前には必ず前知らせがある。
 ですから、そこんところを、日頃心行しとらんと、それを気付かんです。だから、こっちも構えとりますから、もしどういう問題が起きてきてもです、それこそ貧乏ゆすりでもするだんじゃないというような、もりもりと力が湧いてくる。そこへ起きてくる。だからそのめぐりに打ち勝っていくことができる。
 それをしだごだでは、いつもめぐりに負け通しということになります人は、百年経ってもめぐりのお取り払いは頂かれてないということ。ね。力を蓄えとかなきゃいかない。ありがたいもったいないで、そこを押し切っていくだけのおかげ。そこんところを「元気な心」というのは、(しいら元気?)っちゅうのがありますからね。ありがたいの内容を持ったところの、生き生きとした、今日のお説教の中から頂くならば、新な心ということなんです。
 生き生きとして、瑞々しいまでのありがたいという心でもって向かうならば、どういうめぐりに出遭いましても、それに対決に(接して?)いくことができられる。そして、めぐりのお取り払いの頂けたあかつきにはです、ね、もちろん自分一家だけの助かりではありません。もうたくさんな人が、そこには人が助かるようなおかげにまでつながってくるんです。
 「病気災難は根の切れるまで」ね。それを七分目八分目で止めたんではいつまでたっても水は濁っておるようなもん。井戸ざらいのようなもんじゃ、とこういうふうに頂きますとです、いうなら、信心を続けてさえおればいつかめぐりのお取り払いが頂けるじゃろうなんて言うようなことはない、ということを今日は聞いて頂きました。
 めぐりのお取り払いを頂くというのは、ほんとに井戸ざらいをするとに「やあ」と言うて最後までやってしまわなければいけないように、「只今修行中」という看板を掲げて、その修行中が終わるまではです、ね、ひとつその元気な心でめぐりのお取り払いにかからしてもらうおかげを頂かなきゃならん、ということを今日は、そのへんのところをね。
 ただ、信心を止めればとおっしゃっておるから、「ああ、止めさえせにゃいつかは頂ける」といったようなことじゃないということを今日は分かって頂きたいと思います。どうぞ。